
「ダサイン大祭は何も動かないよ」が現地に住むビジネスマンの合い言葉です。
この期間はよほど稼ぎ時の会社やお店(観光業がまさにそれです)以外は、自宅や実家に集まり、静かにダサインを祝すのがこちらの流儀。怒鳴りつけようが脅そうが報酬を提示しようが、基本的にダサインの家族の集まりの中に身をおくのが最優先のこの時期には、休む、と言ったら、何があっても仕事には来てくれないのです。
ネパールで最も長期に渡り、最も大事な祭祀儀礼・ダサイン(Dashain)。現在ではコマーシャリズムの台頭もあって主要な祭日だけを祝いますが、もともとの伝統的な暦ではほぼ二週間にわたってお祝いが続きます。
祭祀の起源は、女神・ドゥルガ(Durga)が、水牛に姿を変えて現世に立ち出でた悪神・アスラ(Asura、日本では阿修羅)を打ち負かした日を記念して、「善が悪に打ち勝った」ことを祝ったもの、とされています。アスラはまた、神の中の王・インドラ神(Indra、日本では帝釈天)のライバルでもあり、このアスラを打ち負かした女神であるドゥルガ(Durga)は、シヴァ神の中に宿る女性的霊力・シャクティの権化と信じられており、全ての神が持っている霊力や武器が、女神ドゥルガならただ一人に全て備わっていると考えられています。
この時期のネパールはまた、収穫の時期でもあり、寒さの冬に向かう季節でもあります。一族郎党が一堂に会して、手にした豊富な収穫物を分け合って食べ、お互いの一年間の労をねぎらい、次の一年の無業息災を祈って様々な儀式を連日行います。期間を通じて家族の絆を確かめ合うための、季節の端境期における大事な儀礼となっています。今では普通の慣例のようになっていますが、かつてはめったに口に出来なかった肉をわざわざ準備して、家族で健康を祈念しながらたらふく食べる日でもありました。
ダサイン期間中、ひとびとは「勇敢さ」と「明晰さ」のシンボルでもある女神ドゥルガに供物を捧げて、そのご利益として自身の進歩や繁栄があるようにと祈ります。儀礼に習って、朝は川辺に集まり、日暮れには寺院を訪れます。ガタスタパナ(Ghatasthapana)、フルパティ(PhoolPati)、マハアスタミ(Mahaastami)、ナワミ(Nawami)、ヴィジャヤ・ダサミ(Vijaya Dashami)等、それぞれの日に別々の祝日名が与えられており、それぞれ違ったお祈りや儀式を執り行います。
また正装に着替えて目上の親類や知人の家々をまわり、ティカ(Tika、額につけてもらう印(いん)で、お守り・息災等の意味がある)を施してもらいます。このとき日本のお年玉のように、簡単な贈答品を一緒にもらうこともあります。上述したように、昔はダサインが肉を食べる日だったことの名残で、今でもこの時期には盆地内の至るところで刃物を使ったヤギの屠殺が行われています。神への供物の側面も持っているため、カトマンズ中心部の旧王宮(Hanuman Dhoka)では、上述したナワミ(Nawami)の日に生け贄を捧げる儀式が行われます。これは正式な儀式ですので、政府関係者や宗教家等、多くの招待客の前で粛々と式典が執り行われます
ダサイン9日目には、普段は立ち入り禁止のタレジュ寺院(Taleju Temple)への参拝が許されます。最終日はコジャグラット・プルニマ(Kojagrat Purnima)と呼ばれるやはり満月の日です。ダサイン祭の日程が毎年変わるのはビクラム暦(Bikram)という太陽太陰暦に基づいて陰陽のように決めているからです。
この日は伝統的に新しい祝い物を贈る日とされていて、昔は新しい服や靴、勉強道具などが贈られていましたが、いまでは現代っ子が喜びそうなおもちゃやゲーム、精密機器などもプレゼントされています。
ダサイン近辺になると空にはネパール式凧があがり、ちょっとした空き地に竹を組んで作ったブランコが設置され(乗って年の数だけ漕ぐのが流儀)、大いに呑み、食べ、家族の絆を確認しつつ、実家のある地元の友人知人親類縁者と旧交を温めるのが伝統的慣例です。
この時期は、あれだけ喧噪と砂塵で混沌としていたカトマンズも居住人口が激減し、特に車輌の数が驚くほど少なくなるので、むしろ昔ながらの町の雰囲気を感じられる時期でもあります。普段ならすぐにクラクションで追い払われるような道路を、ティカに向かう家族連れが手をつないで道幅一杯に広がってのんびり歩いている姿など、まさにお正月の感があり、普段のカトマンズであれば絶対に見られない光景といっていいでしょう。
最終日には夏休みを楽しみ尽くすこどものように、ダサインの名残を惜しむひとびとが額にティカをつけ、新しく手に入れたプレゼント(服や靴や携帯電話や・・・)を身につけて、楽しそうにおしゃべりをしながら声高に笑い、巡礼のように友人知人親類縁者の自宅巡りをしているのを目にすることでしょう。
ダサイン祭は、特別な日や特別な儀式の間を除けば、日本のお正月の年始まわりと同じように友人知人のご家庭を訪問するのが普通ですので、ネパールの伝統的な「お正月」的雰囲気を楽しんでみたいなら(注・暦上の新年はあくまで4月です)、この時期を狙って友人知人を訪問してみるのもいいかもしれません(お店等は冒頭述べたように閉まっていることが多い点にはご注意ください)。
来ちゃった!ネパール!